2001 Feb/10 記
2016 Sep/21 改訂
背広の話T
背広は何故残ってきた?
参考文献文春新書
中野香織著
スーツの神話

【はじめに】
「男は何故背広を着るのか?」とは、50年の間作る側にいた私も常に考えてきました。男がずっと着て来たから″とか礼儀だから″だけでは、ずっと″と言ってもわが国では大戦後たかだか50年、発祥地のイギリスでも150年あまりなのです。礼儀″と言ってしまえば、いったい何故そうななったか?を考えると興趣が尽きなくなってくる。

 このたび上梓された、中野 香織さんの著書「スーツの神話」との出会いは正に「目からうろこ」の思いで読ませていただきました。出来るだけ本書の主旨を変えることが無いようにして多少私の「背広への思い」を入れて書いたつもりです。最後(NO.18)までお読みいただきましたら幸甚です。「背広」に興味をお持ちの方は、是非右記の「本」をお買い求めになってお読みくださいますと、今までの「背広観」が変化し、ご愛用の「スーツ」に対しても愛着が湧いてくることと思います。お奨めの1冊です。

NO.1 
 背広の発祥地イギリスで産業革命後、あらたに出て来た「市民階級が旧来の権威に対抗して考えだされたのが始まりと言われています。

背広の原型ともいわれているフロック・コートが出て来て以来その基本形は殆ど変っていませんが、私は変わらない事が大事なのでは?それが又、支持される最大の理由であろうと私は思ってます。
女性のファッションの変遷と、その目まぐるしさは(男たる者はそれを見るのが楽しみであり眩惑される)男女間格差ともあいまって、あらためて「背広」の意味を考えてみたいと思いました。

NO.2
「背広」というネーミングの由来は良く言われるが、本来「スーツ」or「ラウンジ・スーツ」と英国では呼んでいる。SUITと書くがホテルの最高級ルームをSUITE ROOMと書いて「スィート・ルーム」と言っているが、「二間以上あるひと続きの部屋」という意味、語源は兄弟関係にある。現在の背広服のように上下とも同じ生地で作られた「服」を「スーツ」と呼ぶようになったのです。
現在「礼服」(ディレクターズ・スーツ&モーニング・コート)など一部に上下が違う生地で作る様式が残っているが、所謂【普段着」として普及し始める以前は上と下は異素材で(主に上はシルク下はニットなど)で作られていたのです。シルクはその光沢の豪華さからも当時の貴族階級のシンボルとして刺繍を施して現在の上着と比べると短めの着丈のものが(ダブレットと呼ぶ)作られていました。

NO.3
「背広」が出てくる以前の15世紀〜17世紀までの【ダブレット(DOUBLET)「男の正装」です。当時の「男達」は女性に負けず劣らず、装飾性に富んでいたのです。この衣裳の中にはギッシリと詰め物がしてあり「男らしさ」を強調していたのです。(肩廻り・腕・お腹・くるぶし等)
これでは、とても「労働」など出来るはずはありません。
もっとも「貴族階級」ですから…。

NO.4

ダブレット(キルティングなどの二重仕立てでこう呼んだ)&ホウズ(現在履かれている長ズボン以前の呼称)の典型です。(ヘンリー八世)ご覧のとおり肩廻りにぎっしり詰め物をし、下衣も「ふくらはぎ」にも詰め物をして「男らしさ」を誇張四角く雄雄しいシルエットを作ることに腐心していたようです。特に袖を見て下さい。無数のスラッシュ(切れ目)を入れて下のシャツを覗かせている。兎に角いかに大きく見せるかがモンダイで装飾性に富んだ衣裳であります。この頃はまだ「ダンディー」という概念はもう少し後になって出てくるがまだ無い。

NO.5
17世紀後半、イギリスチャ―ルス2世の時代、あまりに華美になった男服に改革宣言をすることになり、ほぼ同時代フランスルイ14世と共に「倹約」を概念として「体にフィットさせる(ジュストコール左図参照)」ヴェスト(今日のチョッキとは多少違う)の登場となります。前をきちんとボタン留めをして着るという「コート」の出現となったのです。
現在でもチョッキの背中の部分には裏地が使用されていますが「倹約」の賜物として(表生地は当時は高価であった)残っています。(少々みみっちい話しですが)18世紀後半まで一般的に(貴族階級)に着られていた服装をご覧戴きます。

NO.6
衣服の歴史をほぼ2000年とすると女性のファンションと比較して「男服」は変化に乏しくファッションを追いかける事を放棄して男たるものは只ひたすらビジネスに専念すべきである″という「神話」めいた話しが言われそうだが、ロンドンの「紳士の小道具」専門店はスーツが完成する以前に創業しシャツ・ネクタイ・カフス・からステッキ・帽子・財布に到るまで世界中の「お洒落な男性」を相手に繁盛し続けている。
そこを考えると女性のファッションは「流行」という名のもとに「切り捨てる」事に意味があり、一方「男」は背広の登場以前から排除ではなく「積み上げ」「取り込み」を続けた歴史とも言えるのでないかと思います。
18世紀末のフランス革命で新たに出現してきた「平民階級」とともに英国での「ジェントルマン」の登場となるわけですが、写真はそのジェントルマンの「立ち振る舞い」「マナー」「エチケット」はかくあるべしを説いた「チェスターフィールド卿」です。

要は「処世術」とも言えるように思えるのですが「服装」についても「いつも仕立ての良いもの、体にピッタリ合ったものを身につけること。またいったん着装したら服の事は二度と考える事なく、自然に立ち居振舞いをすべし」とある。その他「世に出て認められる為には先ず人望を高め勝ち得る事が大事である」等など、今日の「英国紳士」のあるべき姿として語り継がれているのです。言ってみれば「外見より中味」と言う事でしょうか。