背広の話U

NO.7
前回は「ジェントルマン」とは?等と、既に立派なジェントルマン諸氏には余計なお世話と言われそうな事を書きました。話の流れでそうなりましたが、そのチェスターフィールド卿の孫にあたる6代目のチャスターフィールド伯が、今日正装用コートとして代表格のチェスターフィールド・コートに名を残しているのです。(参考画像)

今日の英国においても「イングリッシュ・ジェントルマン」の理念は脈々と受け継がれていて、「スーツ」もその伝統を積み重ねて完成したのです。
服装においての「エレガンス」「ソフィスティケート」は男女を問わず求められる大事なところですが、「エレガンスにはキワが必要」(キワどい事)、「ソフィティケート(洗練)という言葉にはある種の不純物を混ぜて練り上げる」というニュアンスもあるようです。何処かに「毒」や「俗っぽさ」を取り入れながら絶妙のバランスを保つ、言ってみれば「粋」と「野暮」のキワどさ…。

今日のスーツには、その後のある時期イタリアのファッションのスノッブ(俗っぽさ・下品さ)を取り入れた時期があるようです。それが又、一層「スーツ・スタイル」に磨きがかかったとも言われております。

NO.8
「長ズボン」の登場:
15世紀〜18世紀の300年の間「男」は「ブリ―チズ」と呼ばれる半ズボンを履いていたのですが、フランス革命の旗手となったサン・キュロット派(キュロットを履かず長ズボンを履くの意)が、当時下層民の服装であったものが身分や社会階級にとらわれずに産業革命以後の市民階級の服装として定着するのです。

ファッション(FASHION)という言葉は流行という意味で使われているが、″上流社会風という意味もあり、長ズボンも当時から揶揄される意味でも上流社会風ズボン″といった形で普及(流行)していたと言われています。

近代的服装が出てくる以前の「男の理想体型」は″洋梨風(撫で肩・肥満・短足)″であったとは今から考えると信じ難いようですが上着とタイツの中に沢山の詰め物をしていた写真を見ても分かるとおりなのです。
「長ズボン」の登場とともに、新しい「脚線美」を追及するようになりますが、現在のように腰にベルトを巻いて腰の位置を決めて履くようになるのはずっと後の事になります。(いかに足を長見せるかとサズペンダーで吊り上げていました。足首にもストラップ)

NO.9
「洋梨型体型」の見本です。男女を問わず「スレンダー・ボディー」が格好良いとされる現在では想像出来ないのですが、この後に出てくる古代ギリシャ彫刻の「逆三角刑ボディコン長足」が理想とする体型とはおよそ違う事がお分かりかと思います。でっぷりと太った体型に、ふくらはぎまで「詰め物」をしてリボンまで付いております。下半身の誇張スタイルです。今見るとこっけいに映りますが、流行とはそんなものでしょう。
前回で「長ズボンの登場」を書きましたが、一時流行った「パンタロン・スタイル」はトラウザ―ズ(ズボン)の呼称より歴史は古いのです。(一般的なズボンの呼称でした細身の長ズボンという意味ですが当時の役者の名前から)…次回から愈々ジェントルマンの登場です。

NO.10
18世紀後半から19世紀初頭に現れた今日の背広スタイルの原型「フロック・コート」です。ここまでご覧戴いた服はいわば「宮廷服(邸内)」ですが、カントリー・ジェントルマン(初期の呼び名)が、カントリーサイド(外着)での遊び着として出てきたものです。これ以前の服との違いを簡単に言うと@雨風の侵入を防ぐ為前がボタン留めにして襟が付き袖口を細くするA素材はウールを使用する(写真を見てもお分かりのように体に密着するように仕立てるためにはシルクよりもウールが加工性に富んでいる)B色彩は自然に溶け込むような色が好まれた(狩猟服は赤・やモスグリーン)の三点が上げられる。

なかでもウールの存在は大きな役割を果たすことになります。複雑な裁断や裁縫(アイロンによる熱処理)に絶え得る丈夫さと可塑性、蒸気をかけてもダメージを受けないさらに体に馴染むという意味でも「ウール」は最適な素材として定着する事になりました。

ご参考までに:今日背広の袖口に何故ボタンが付いているのかが良く言われますが、宮廷服時代にもカフスと言って装飾性を重んじた頃の大事な要素として(労働とは無関係の階級の象徴か?)誇示する意味合いが込められていました。今日では「切羽飾り」と言って名残りをとどめているのです。

NO.11
ダンディズム″前号でカントリー・ジェントルマンの登場について書きましたが、この時代になって「ダンディー」が出現してきます。左図は最初の体現者として現われ今日でも多少「男のお洒落」についての本を繰った事がおありの方には、あまりにも有名な、ご存知通称『ボー・ブランメル』(ジョージ・ブライアン・ブランメル)です。

我が国で言われる「ダンディー」とは、只着こなしが格好イイ、チョットだけ個性的なというのとはチト意を異にするのである。凄まじいばかりの服装へのこだわりなのである。
1)装飾・色彩・無駄を極力抑制する代わりにシンプルで最高の素材を用いて体に完璧にフィットするように仕立てをさせる。
2)徹底的な清潔に努め、身支度には2時間はかけ、オーデコロンすら使わない。シャツを洗濯する際も水に気を付ける(真水を使う)ブーツ底に到るまでシャンパンで磨き上げる。
3)ネッククロス(当時は今日のネクタイはまだ無い)の結ぶ方は完璧を期すこと。軽く糊付けして結んでも上手く行かない失敗作は山積になる事は当然とする。

そしてここまで手間ヒマかけた「着こなし」を他人に振り返られるようでは「失敗」という。他人に衣服の印象すらを残さないような「印象作り」がブランメルの求めた完璧さであったのです。
彼の出身は一応ジェントルマン階級(郷士階級)ではあったが言わば平民に近い。当時は貴族制社会から市民社会への過渡期でもあったのですが、短に服装へのこだわりだけでは名を残す人物にはなり得ない事は自明です。大きな時代の変革期の社交界で停滞した価値観を撹乱し、貴族社会の「マナー」をも「寸鉄」を持って一瞥する「会話の妙」元来わが国での「粋」にも通ずる「キワドサ」で当時の国王を凄く注目を集めながら最後は破滅的人生をも厭わない「生き方」安逸さ貪るアンニュイな人生を否定した彼自身は自らを「ダンディー」と呼ばれることを否定したのです。
言わば旧来のマナーやエチケットをも否定して新しい価値観を提唱し、そのツールとしての「服装術」を提唱してジェントルマンにも影響を与えた彼について書いてみました。

「ダンディズム」に興味をお持ちの方に、展望社発行:山田 勝著ブランメル閣下の華麗なダンディ術―英国流ダンディズムの美学をお読み下さい。(小生の稚拙な文章力では語れないのです)

NO.12
前回では「ダンディー」について触れましたが、単なる「洒落者」とは意味が違っていたのです。この後「ダンディズム」と「ジェントルマン・シップ」の概念の戦いが100年も続いたのです。
前回登場しましたボー・ブランメルなる人物、がシンプル・イズ・ベスト″を言い紺無地を多用し、また彼が考案した黒の上着に白いシャツ(ブラック&ホワイト)の組み合わせが今日の礼服の基本となっているとも言われていますが(黒色には本来「喪」の意味は無いのです)当時としては度肝を抜くものでした。
今日「男の服装マナー」の薀蓄(礼服やタキシードでのきまり事″)の大部分はこの時代に定着していたのです。とにかく「お勉強」する「きまり事」でいっぱいなのです。決して「仕立て屋」などの陰謀では無いのです。殿方には「やせ我慢」をして戴かなければなりません。(ダンディーの究極)

No.13
何回かにわたって「男の正装」の成り立ちを書いてきました。イギリスでの大きな社会の変革期とともに「衣服」でもその形体が大きく変ったのですが、常に「イズム」「…シップ」が伴って当時の社会に受け入れられてきたのです。しかしその「精神」や「思想」の多くはフランスの作家や思想家が唱えて勢いを増したのです。(サッカレー、カーライル、ボードレール、デズレリー、ディッケンズ)

時代が大衆社会へと変容し始めた19世紀中葉、今日の「スーツの神話」作りに大きな役割を果たす「既製服」が誕生します。1846年にロンドンの一等地にオープンし、当時は【吊るしの服(オフ・ザ・ぺグ)】と言われジェントルマン層には受け入れ難いものでしたが都市において新しく出てきた都市型労働者階級の市民が「力」を蓄えて表舞台に登場し政治参加し始め、その中産階級に目を付けて「ジェントルマンの着る服」という神話作り一大キャンペーンを張るのです。今日でも見られる新聞の折込みチラシで使われるキャッチ・コピーには、我々オーダー・メイドのテーラーが使えそうなコピーが氾濫していますが、大量生産・大量宣伝・の黎明は「服」の歴史とともにあったのです。

この時代に今日「背広」の語源(実際は違う)となったとも言われている、セビルロー・ストリートに高級注文服仕立て屋第一号といわれる「ヘンリー・プール」がオープンして今日も世界中の著名人を顧客に地位を保っています。


ロンドンの老舗テーラー「ヘンリー・プール社」(柳沢 昭氏撮影‘92)