恒川 一道先生の葬儀
 2010年2月19日、去る15日亡くなられた旧5組担任 恒川先生の葬儀に参列してきました。
葬儀委員長の挨拶の中から一部を抜粋して紹介します。
 昭和3年 旭川市に誕生
学齢期は戦時下にあり入学した旭川商業高校が当時の国策で急遽工業高校に変更になる。
卒業後旭川市内で代用教員として奉職、志すところがあって東京高等師範学校に入学、卒業後昭和26年 新進気鋭の教師として札幌北高に赴任昭和36年まで在籍、その後新設されたばかりの旭丘高校へ転任し昭和41年まで在籍、その後道内各地の高校で教鞭を執る。
 昭和46年 北海道教育委員会に入り道内各地の教育委員会を経て各地で校長とて活躍し北海道高等学校長協会会長を歴任、定年退官後は財団法人 北海道教育弘済会に入り理事長として指導力を発揮し数々の困難に立ち向かい現在の盤石の体制の基礎を築く。
 平成11年、膵臓ガンが見つかり12時間に及ぶ大手術を受けた後、リハビリーに通う。
平成17年 ガンの転移が判りその後入退院を繰り返し奥様からの献身的な介護を受けつつ闘病生活を続ける。
 2月上旬、様態が急変し入院。15日午後6時50分 永眠。
先生の遺徳を偲びつつ心からご冥福をお祈り申し上げます。
高体連全国大会で美智子妃殿下案内役を勤められたことが最高の誇りであったそうです。
(葬儀式場入り口に展示)
キリスト教に依って葬儀が行われた












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