井出 進君ご逝去されました
 旧4組 井出 進君が、かねて入院加療中のところ、
7月02日ご逝去されました。葬儀は家族葬をもって執り行われました
謹んでお知らせ申し上げますとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。
島田 伸久君電話談
 彼は兄上が北海道医療大学病院で内科医として勤務されている関係で、2年前に人間ドックで検査の結果、「肺小細胞癌」が発見され手術を受け、その後順調に回復し自宅で静養していた。
 昨年5月には大好きなゴルフが出来るまでに回復し年に数回のゴルフも出来るまでになっていたが、10月に小脳に転移している事が判明し、放射線治療を続けていたが、副作用で運動機能の低下と呼吸器機能の低下を伴うようになった。
 今年5月、北大病院に入院する際に担当の医師には延命治療は行わないで欲しいと伝えていたそうです。葬儀について、「家族葬」で行ようにと強く言っていたようです。
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金曽 裕一君のメールを転載
 彼と小生は高校2年のとき釧路湖陵高校から札幌北高に共に転校しました。
共に北高遠藤先生のクラスに入り彼は山形大学へ入学、大学卒業後、赤坂のレミトンユニバックとういう会社に入社されました。その後日本ユニシスに。プログラマーとしてソフト開発に成果をあげられ、業界の人はソフト開発者である彼の名前を知っている方が多いのです。

 北高時代西保健所近くの彼の自宅で、祖父の家で下宿生であった私に月に何度もお母さんが家庭料理をご馳走してくれました。
 父上が北海道銀行の釧路支店長だったので中学時代から釧路におりました。
葬儀は親族だけで済ませるとのことですので今度札幌に出たときに焼香してきます。

小生も雪印の東京に勤務していたので時々彼の目白の下宿へお邪魔したり一緒にゴルフの練習場へ行ったりして若かりしサラリーマン時代を過ごしました。真面目で誠実で誰にでも愛されるキャラクターを持った友でした。
 
井出君は男3人のアットホームのご家庭で育ちました。
井出家は満州黒龍江省からの引揚者で金曽家も吉林省からの引揚者であったので戦後の境遇も似ておりました。
井出君が業界から引退されてからはもっぱら遊球会を通じて旧交を温めておりました。
奥様との世界旅行は羨ましく人生で一番幸せな時間であったと思います。
これからも時々札幌でお会いできると思っておりましたが残念の一語です。
ご冥福を心からお祈りいたします。

人はそれぞれめぐり会えても、曲がり角で手を振れば……、いつのまにか一人ぼっち
(札幌出身の山木康世さんの詩です)