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〜山田建一君を訪ねました〜
2013年9月6日 山田会計事務所
 今日は、私の仕事上での大事なパートナーでもある縫製を担当してくれている職人さんの作業風景のビデオ撮影初日で朝8時から午前中は、彼と今後の撮影スケジュールについて打ち合わせをしていた。昼になったので、しばらくご無沙汰している、彼の師匠で業界の大先輩(83歳 5年ほど前に一線を退いている)も一緒に誘ってランチでもということで彼の仕事場兼店舗まで来て貰った。

 しばらくは昔話に話は弾んだが、ランチを一緒に如何ですか?と、誘ったがその師匠は頑として拒否するのです。言い分は「何で君に食事をご馳走にならなければならないのか、そんな理由はどこにも無い」と言う。まるで取り付く島が無いのである。私の頭の中は、一瞬昭和30年代の自分の記憶と同化した。
 その頃はまだ色んな業界でも所謂「職人」と呼ばれる、技術者が日本中どこにでもいた頃である。高度経済成長に世の中は浮かれていた。アメリカから導入された「大量生産・大量消費」が美徳とされて、マスコミも煽った。「流通革命」という本がベストセラーになったこともあった。あらゆる商品・製品が安く・大量に市場に溢れて、物が簡単に捨てられるようになった。私の仕事の分野で言えば当時は背広の価格はサラリーマンの初任給とほぼ同額で2万円程度であった。

 結局なんぼ話しても拉致があかないのであきらめて、職人の自宅を辞することにして帰路の途中の蕎麦屋で昼食を摂っているとき家内から電話が入った。山田さんが電話を下さいとのことだった。
2時半頃までは来客があるので、その時間を外して来て下さいとのことなので3時少し前に彼の事務所に伺った。

 山田君は北高を卒業後北大経済学部に進学し、当時から将来は税理士を目指して勉強に励んでおられたし、私の場合は、仕立て屋の道に進もうと決意して上京し杉並区にある小さなテーラーに住み込みの「見習い弟子」として社会人の一歩を踏み出したばかりであった。
 所得倍増論を謳って池田首相が就任、サラリーマンの給料も毎年ベースアップされ、豊かさを求めて国民は挙って消費に励んだ。トイレットペーパーが突然店頭から消えて価格も倍近く値上がりしたこともあったが、それは結局値上がりを見込んで大手商社による買い占めであることは間もなく分かった。

 そんな世の中の動きとは山田君も私も無縁の世界で、自らの足下を転ばぬように見つめながら一歩一歩自分のペースで歩んできた。今もそうであるが一度転ぶと起き上がるのが大変なので、また大怪我をすることも知っていたのでマイペースの人生を心がけてきたように思う。

 高校を出た後、山田君とは疎遠の時期も長かったがお互い結婚をしたのもそんなに違わない、やや遅めであったが、その頃から彼とは再びお付き合いをさせて戴くようになった。(背広のご注文)

  彼の人柄を宮沢賢治に倣って一言でいうと、”雨ニモ負ケズ…”の冒頭ににある一節「決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル…」なのである。さらに若い頃はかなりの酒豪であったことは古くからの友人は皆認めるところですが、どんなに呑んでも乱れる姿を見たことが無い。前述の通り、「いつも静かに笑っている」のみで定量になると一人タクシーに乗って静かに会席から去っていなくなるのです。
 私と言えば現在は下戸を通しているが、40歳の中頃までは酒席に出て「カラオケ」で蛮声を挙げて顰蹙を買っていた頃もあった。周囲には迷惑をかけたことと思っている。

 時間が経つのも忘れてすっかり話し込んでしまって、彼の事務所に2時間近くお邪魔したが、奥さんが”貴方、そろそろ「本題の話」をしたら”と、彼を促した。寛ちゃん、背広を一着お願いすると言ってくれた。
 最近、私は自分のホームページを大幅に書き換えて以前とはだいぶ違う雰囲気の体裁になっている。
その直後あたりから、古くからのお客さんから電話やメールでの問い合わせが多くくるようになっている。

 勘の鋭いお客さんは、ひょっとすると太田君はそろそろ商売を辞めるのではないか?との気持ちを察知したのかも知れないのです。
 実際のところ、山田君もそうであるが、ポリオの後遺症(ポストポリオ症候群)が60歳前後から出始めている。私にはポリオに関しては医大の学生だった頃からの知り合いの若いドクターがいる(今年の3月まで札幌徳洲会病院 院長)、毎月月末の最終日曜日「予約診療」を受け付けているのでポストポリオの進行状況の検査を受診中。その彼の勧めもあって車椅子の使用を始めたのです。
 山田君もポストポリオとは直接関係が無いが3カ所の病院を掛け持ちで通院中、彼も私同様自らのリタイアの時期を考え始めている。

 我々二人に限らず、同期の諸兄、諸姉も、そろそろ人生もターミナルが近づいている年代になっている。長寿社会で平均寿命も厚労省2008年の統計で女性86.05 歳、男性79.29 歳になっている。
しかし寿命と健康状態の良好さとは一致しない。どこの病院も患者の8割〜9割は高齢者で待合室は混雑している。残されている自らの体力・気力と、どう折り合いをつけて生きて行くかは、人生最後の大きな命題でもある。せめてもの社会貢献が出来ればこれほど、幸せで充実した老後生活はないのではないか。そんなことを考えながら彼の事務所を辞した。
 山田君、長時間お邪魔しました。ありがとうございました。(感謝です)