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〜日野石(旧姓国見) 穎子さん、棚橋(山根) 睦美さんとランチしました〜
2013年12月10日
   私の仕事を古くから手伝ってくれている西岡に住む職人さんへの道程の中程に、桑原圭子さんのショップ(重度障がい者通所施設併設)があります。
   9日〜13日までリサイクル品のセールのポスターが貼ってあっので寄ってみました。
程なく、日野石(国見)さんと棚橋(旧姓 山根)さんが来たので、二人をランチに誘ってミュンヘン大橋の側にあるミスター・ドーナッツに行ってきました

 二人は小学校を十勝管内 池田町で過ごした、幼なじみの仲ということで桑原さん経営の「なんもさたっく」のセールで待ち合わせをしていたとのことでした。
 お二人とも、私が時々来ていることは知っていて、”あら、寛ちゃんきてたの!お久しぶり”と、会話は弾んだ。その時既に店内はセールを知っての来客が多く店内は大混雑(店内の様子は後日掲載予定)
 我々三人も店内に並べられた商品を見て、それぞれ気に入った商品を購入、その間桑原さんは他の来客対応に忙しくしていたので、丁度お昼時に近かったので、三人でランチをしましょうと言うことになり、私は「広くて・明るくて・清潔な」お店が良いと言って、ミスター・ドーナッツへ行って少しお話しをということになりました。

 ここのミスタードーナッツはコーチャンフォーという大型書店が併設されていることもあって、いつも混んでいておそらくチェーン店でも売り上げは上位にランクされているはずです。ウィークデーの水曜日でも六割の席は埋まっていました。地域性のもあると思うが障がい者専用の駐車スペースも違法に駐車していることは殆ど無いのは、車椅子をつかうようになった私には助かるのです。自分の力ではトランクから車いすを降ろすことが出来ないので、日野石さんにお願いをして降ろして貰いました。

 互いに好きなメニューを頼んで、席を確保して、会話のスタートは先ず、卒業年次のクラス紹介から。
日野石さんは、かの通称「えんづ 遠藤先生」、棚橋さんは通称「クロパン 恒川先生」、そして私は通称「そって 杉山先生」となると会話の気分は、54年前の学生服とセーラー服の時代にタイムスリップ。
 特に、日野石さんからは乙女チックな思い出話が飛び出し、他の二人はもっぱら聞き役、しゃべることでは人後に落ち無い私もダンマリを決め込むことになりました。この春27年間やってきた地域の民生委員を後継者に譲ってリタイア。(このことは確か札幌市からは感謝状か表彰状の対象になるはずですが、その件については聞きそびれてしまった)

 ところで棚橋さんは,確かこのお店の近くにお住まいのはずと切り出して彼女のライフ「ヒストリーを聞きました。OL生活を経験の後、結婚その後ずっと専業主婦の生活でしたが還暦前後から人材派遣の会社で家政婦を紹介する仕事を担当していたとのこと、それも2年ほど前に止めて現在はご主人と二人での平穏な老後人生を過ごしているようです。

 十一時半入店し一時過ぎまで会話は尽きること無く続きましたが、私は老いたりとはいえ現役の仕立て屋、年末特有のトラブルが発生しているのでその対応で職人たちと打ち合わせがあるので、ミーティングの続きは後日再びということになり、彼女たちを桑原さんのショップまで送って解散しました。

 例年ならこの時期はとっくに根雪になって積雪もけっこうあってもおかしくないのに今冬は市内に関しては未だに積雪ゼロ。楽な年末となってますが、今後はどか雪がくるのではと心配している私ですが、除雪機のバッテリーをネットショップ、アマゾン・ドット・コム(福岡県)で購入、中国製ですが国産の値段と比較で半値近い。
長い期間使用してきた「ゴム長」を駅北口近くの瑞宝舎で購入、準備だけは済ませましたが、何ぶん車椅子を使用するようになった私、世帯主の責任感だけで雪解け時期まで完遂可能か?心配ではあります。頑張れねば…の昨日今日です。

 諸兄・諸姉のおかれましても、来る新年が佳き年でありますよう心からお祈りいたしております。

追記:
  夕飯を終えて、このページを編集し終えてタバコを吸っていたら、池脇君から電話が入り”元気してたかい?”と言うので、私が彼から毎年送ってくる卓上カレンダーの礼状のメールに車いすに乗っていることを書いてあったことへの見舞い電話でした。
   ”車いす生活”になって人生観が変わったことを告げると、驚いた様子の反応があり、少し詳しく話しました。彼との付き合いも長く一時期は池脇会計のクライアントだったこともあって公私ともにご厚誼を願っておりました。10年ほど前に担当者からの指導もあって法人を解散して、再び個人経営のテーラーに戻った次第です。
   70歳を迎えた頃、今後の生き方に付いて考えるようになりましたが、人生の末尾をどう過ごすか?は、永遠の命題ではありますが、金なんてものは生きて行くうえで最低限のものがあればそれ以上は必要なし。及ばずながらではあっても、某かの社会貢献のひとつでもと考えるのは、老人の務めではと思うようになりました。現在、所属する会の障害者問題委員会の末席ではありますが、いち委員として頑張っております。
   年内は無理として、年が明けたら、ランチでもということで電話を終えました。